三式戦闘機「飛燕」


DSC_0646こんにちは神崎慎一郎です。

皆さんは、第二次世界大戦で活躍した三式戦闘機「飛燕」をご存知で

しょうか?もう70年以上前の昭和15年に話は遡ります。

 昭和15年に川崎重工で開発された。造られた、「キ–61」「飛燕」と呼ばれた、この機体を川崎重工の120周年記念行事で、忠実に復元されたという話を聞いて神戸にポートターミナル駅で行われた、展示会に行ってきました。

「カワサキ」というとみなさんから「オートバイ」と帰ってきそうですが、もともとは川崎重工という企業は大戦当時に飛行機を生産していました。

DSC_0667Ninjaの H2R/H2 750Turbo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は今でも日本の航空自衛隊にジェット戦闘機を供給していることを皆さんは知っていますか?

T-2T-4、ボーイング787などの航空機を船舶や鉄道、宇宙産業に至るまで幅広くこの日本を支える一大企業なんですね

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この川崎が日本陸軍のために作ったのが「三式戦闘機 飛燕」でした。

 日本には最も有名な戦闘機「零戦」がありますがこれは「ゼロ式艦上戦闘機」の略称何です。

たいていの皆さんはご存知ですね。

読んで字のごとく艦上運用されるもので海軍機として生産されました。

 当時の近代日本の誇る優秀な戦闘機でしたが、日本軍には空軍はなく、海軍と陸軍しかありませんでした。

 本来なら現在のように空軍があって航空機に関しては正しい運用をすべきなのでしょうが、この時代はまだ航空機自体がその位置づけになかったと言えます。

その甘さが、日本国の弱さだったのでしょうか?

 

 また、この当時の日本陸軍と日本海軍は犬猿のなかでとても仲が悪かったそうです。

 当時の笑い話があります。

日本の海軍と陸軍は不仲の為、独自にそれぞれ当時のドイツのダイムラーベンツ社に対してエンジンのライセンス許可を出していました。

もともと日本の海軍がライセンス許可を出していましたが、海軍とは別ルートで陸軍がライセンス許可を出して受理されていました。

 当時、ヒトラーは友軍の日本に対してどうして同じ国なのに別々にライセンス許可を出しているのかと日本政府に尋ねたとか?

 結局、陸軍はそんなことは知らないと突っぱねて金を払ったといいます。

ライセンス料金は当時のお金50万円という高額でした。今のお金に換算すると約17億円に相当します。

 このダイムラー社が開発したDB601直列式液冷エンジンには通常の飛行機のエンジン、空冷星形と比べて細長く、キャブレターを持たない、直噴式のインジェクションを備えた最新型のエンジンでした。ドイツはメッサーシュミットBf-109としていち早く、量産にこぎつけていた機体でした。

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陸軍と海軍が仲の悪いことはおわかいただけたかと思います。

こんなこともあり、海軍で正式採用して大活躍したゼロ戦を、陸軍が大量発注するはずもなく、

かといって零戦以来目立った新兵器もない日本軍、特に陸軍にとってわらをも掴む話だったのでしょう、新たな機体の開発に乗り出していったのです。

復元されたスーパーチャージャー。

復元されたスーパーチャージャー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三式戦の開発で槍玉に上がったのがカワサキ重工業でした。

 ちなみに陸軍が開発した戦闘機は海軍が採用した零戦以降、次々と開発されました。

一式戦闘機は「隼(ハヤブサ)」

二式戦闘機は「鍾馗(しょうき)」

三式戦闘機「飛燕(ひえん)」

四式戦闘機「疾風(はやて)」

そして五式戦闘機はニックネームはありません。

ちなみに五式戦闘機は、故障が多かった三式戦闘機飛燕を改良した二型を生産を開始しましたが

これに搭載するはずの新型エンジン「ハ140」の供給が間に合わず、機体だけできてしまった。

 

 

新造されたキャノピー前面のカウリング。機関砲の発射口が見える。

新造されたキャノピー前面のカウリング。機関砲の発射口が見える。

 これを首なし飛燕と呼んでいました。

この機体に急きょ従来型の金星62型エンジンを積めるようにマウントを改造し、カウリングを取り付けたものを開発。

意外に従来型の空冷エンジンは信頼性が高く、故障も少ないうえ機体性能は良好だったためこれを正式採用して五式戦としました。

 一方、海軍はいち早くゼロ戦の開発者の堀越氏にゼロ戦の後続機、「烈風(れっぷう)」の開発を依頼。

 高い性能要求に開発が遅れ、思うような機体の開発ができず苦戦する中、海軍は安定生産が整った零戦から離れられずに零戦の型式を変えて対応し続けたため、気づいたときには搭載する空母の多くを失っており、結果として戦局の悪化もあり、終戦までゼロ戦を作り続ける羽目になりました。

ちなみに同系の液冷エンジンは海軍はアツタ21型として開発され、攻撃機彗星に搭載されています。

 

 もともとこの機体は九州の鹿児島にある知覧特攻記念館(ちらんとっこうきねんかん)にあったものを回収、復元しました。

 この当時の戦闘機や戦車に使われていた「ゼロ式」とか「三式」呼んでいる型式なんですが、何だと思いますか?

 日本は大日本帝国と自分の国を呼んでいた時代の話です。

正式な年号「昭和」のほかに神武天皇を最初の祖とする天皇制、つまり日本という国の成り立ちをここから数えた「紀元節」という年号を採用していたんですね。

 これは明治に入ってから旧暦の紀元前66011日を祝日としここから数えた年号で、日本独自の年号の数え方と言ってよいものでした。

1940年、昭和15年、紀元2600年に正式採用された戦闘機だから「零式艦上戦闘機」となずけられています。

 三式戦闘機は皇紀2603年に正式採用されたものなので「三式戦闘機」と呼ばれています。

ちなみに「建国記念の日」の211日は日本という近代国家の記念日だと勘違いしている方が多いですが、実は神武天皇即位の日を日本建国の日と考え定めて、祝日としているんですね。

 これは紀元節を基にしています。日本は戦中まで旧暦の暦を使っていたので昭和15年が皇紀2600年となるのです。この紀元節は昭和23年にGHQの要求によって事実上、廃止となりました。

悲しい、日本の歴史ですね。

                                 神崎慎一郎

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