諏訪大社下社「春宮」と「秋宮」


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こんにちは神崎慎一郎です。

さて、今回は下社と呼ばれる「春宮」と「秋宮」について話をしていきたいのですが、皆さんは下諏訪の下社「春宮」と「秋宮」には参拝されたことがありますか?

 

本宮と比べて「春宮」と「秋宮」は敷地的には小じんまりとしていますが、実によく考えられて建てられた社殿は、逆に参拝しやすいなと感じました。

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また写真を撮ってきましたが境内は本宮よりも幅が広く、全体的に広々としていて、すがすがしさと壮観さを感じる。(これは春宮)

 

諏訪は昔から温泉が有名ですよね。

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神社によくある「手水舎」がここ「秋宮」では温泉なんですよ。それも結構熱い。龍神の彫り物の口から吐き出される「御神湯(みかみゆ)」と書かれていますね。

 

 

 

 

 

御柱祭も「めでとこ」こそありませんが、上社よりも派手に大きな柱を蹴落とし坂から落とす神事はみなさんもテレビなんかで見たことがあるかと思います。

温泉も「神の湯」という硫黄臭の強い黄色い色をした温泉が胃腸病に良いと小さい時から父に飲まされた覚えがあります。

もちろん飲料用には無償透明な湯なんですが、本当に酸っぱい水なんです。

 

もともとこの地「諏訪」は古事記にも登場している地で、古代からこの広い日本に認識されていた場所として存在していた。

私は前々からこの「諏訪」という言葉が不思議な響きに聞こえ、妙に頭に引っかかるのです。今度は諏訪という語源について調べてみたいですね。

 

もともと昔からの言い伝えに「守屋(もりや)」なる一族がこの地を納めていたようで、伝説ではタケミナカタの神がこの地にやってきて、守屋に「戦争」か、「降伏」か迫ったといわれている。

まあ、ある意味「葦原中津国」の開拓、そして拡大をもくろむ国津神の「大国主軍」とこの地に古くから住む土着民の「守屋」。守屋から見ればタケミナカタは侵略者だったんですね。

しかしこの伝説は古事記には記されていない。

 

諏訪にはこんな都市伝説も存在する。

イスラエルと関係が深いらしく、旧約聖書のある一節に神がアブラハムに言うには「お前の息子のイサクを剣で殺して私の生贄にせよ。」といわれ悩んだ挙句あげく、これを本当に実行しようとして天使に止められるという話が出てきます。

これとよく似た話がここ諏訪大社でも行われています。

 8歳の大祝(おおほうり)を御柱に縛り付け、神主が剣で殺そうとするところを別の神主が止めるという「御頭祭」が行われている。近年では子供を柱に縛り付けて殺そうとする行為自体が問題になるため、公開はされていないようだが実に旧約聖書と似通った神事である。

この話、じつは神はアブラハムの忠誠心を試そうとしたものだったが、結局、神の言葉はイサク代わりに羊の頭を落として生贄としてささげるようにと変わっていく。

ここ諏訪大社では神の使いとされるシカのあたまを75頭分切り落として子供の生贄の代わりとする神事が今も伝わる。人間の魂はシカ75頭分の重さがあるということなのだろうか?

実に不思議である。

 またアブラハムが生贄をささげようとした丘はモリヤという場所であったが、この場所は諏訪大社では守屋山という山として残っている。偶然にしては出来すぎである。

またこの山には諏訪大社の奥宮がある。

 

 これらを踏まえてもう一度「国譲り」を読み返すと古事記に登場する「タケミナカタの神」と争う「タケミカズチの神」はあまりにも名前的にも似すぎてはいないだろうか。

実際には同一人物だったものを神話という物語を成立させるために、わざと別人として描いたのではないだろうか?日本書紀には「タケミカヅチ」はこの場面では登場しない。

そればかりか国譲り神話で「タケミナカタの神」が諏訪に幽閉されてしまう話は古事記だけに登場し、日本書紀には記されていない。

またタケミナカタの神の奥さんの八坂刀売命(やさかとめのみこと)は以前紹介した安曇野の安曇氏の出身あるとされ、以下にこのように書かれている。

安曇郡式内川会神社の社伝には、

「建御名方命の后は海神の女なり、太古海水国中に氾濫、建御名方とその后は治水のために水内山を破って水を流し越海へ注ぎ、始めて平地を得た。」とある。

また、下社でおこなわれる御船祭(おふねまつり)で用いられる船は、海上運搬用の大型竜骨船であるという。偶然だろうか?

 

古事記と日本書紀は似ているようで全然違う性格の話だ。私的にはこれを同じ日本の正式な書とするには無理があるように思う。

 実はこのことは日本書紀が製作された当時から問題視されていたことだったのだ。

古事記はあくまで「日本神話」に特化した、稗田阿礼の話したおとぎ話感がぬぐえない。

このため、日本の正式な歴史書として日本書紀が編纂され、おとぎ話でごちゃごちゃになった話を切り取ったのではないかと推測できる。

実際に葦原中つ国の話からいつの間にかすべてが出雲の話になってしまう古事記の話の流れの不自然さはまったくもって変である。何かの話と話をまるでくっつけたかのようである。

また「ヤマタノオロチ伝説」などは出雲神話には一切登場しない。

私が推奨する「新説国譲り」を進める上でも日本書紀の記述を基にするほうが、まったくもって都合がいい。

いずれにしても諏訪大社の成立は日本の神話時代とたいへん古く、この時すでに上社下社に分かれていたようだ。時代が下って戦国時代には、長らく下社の大祝(おおほうり)を立ててきた「金刺氏」と上社の「諏訪家」の間のいざこざが内乱へと発展してしまう。このため大きく2つに分裂したとされる。長く続いた戦乱も江戸時代になる前に、金刺氏の滅亡へとつながって今に至る。

神秘に包まれた山奥の地「諏訪」だが引き続き調査が必要なようだ。

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