親父に呼ばれて「元善光寺」


DSC_0047 今回は長野県の飯田市にあります元善光寺を紹介します。
元善光寺?長野市の善光寺じゃないの?と思われる方もいらっしゃいますが、

長野市の善光寺の元となったのが、長野県は下伊那の飯田市にある「元善光寺」と呼ばれる寺です。
 なぜおやじに呼ばれてというと、もともと親父はこの元善光寺をよく知っていて私に話してくれたのを思い出したからです。
 親父はもうなくなって10年ほどたちますのでいい機会と思い、寺に参ることにしました。
 この寺はもともとは坐光寺(ざこうじ)と呼ばれていました。
善光寺の由来は、推古天皇十年(602年)に信州、下伊那、麻績(おみ)の里の住人「本多善光(ほんだよしみつ)」が難波(大阪)の堀江から阿弥陀如来の一光三尊(いっこうさんぞん)を見つけたのが由来だそうですが、一説には如来の方から本多善光におぶさって来たとも言われています。
ご本尊様は552年に百済の聖王が献上した天竺の月蓋長者造仏の阿弥陀如来像が、疫病流行のために物部氏によって身代わりとして堀に投げ入れられたものでした。600年に上洛していた本多善光が堀江を通りかかると水中からこの本尊が背に乗ってきといいます。ほんだ善光は麻績(おみ)の自宅にご本尊を持ち帰り、臼の上に安置したところ、臼がさんぜんと輝いたため、ここを「坐光寺(ざこうじ)」と呼ぶようになったと言われています。
※一光三尊(いっこうさんぞん)とは仏像から出る神々しい光が阿弥陀如来を中心に観音菩薩(かんのんぼさつ)と勢至菩薩(せいしぼさつ)が一体となった仏さまで実にありがたいものです。
※阿弥陀如来:サンスクリット語で「アミターバ」無限の光という音から来ている。
※観音菩薩:サンスクリット語で「アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァ」といい「観自在菩薩(かんじんざいぼさつ)」ともいい般若心経の中にも登場しますね。簡単にいえば観音様です。
※勢至菩薩:サンスクリット語で「マハースターマプラープタ」といい一般時はあまりなじみがないが、十二支の馬年の守り神として有名である。

その後、皇極天皇(こうぎょくてんのう)元年(642年)に天皇の勅令により、本尊は芋井の里(現在の長野市)に遷座(せんざ)された。このとき「本多善光」の善光(よしみつ)の名を取って「善光寺」とされた。
本尊が遷座(せんざ)した坐光寺には変わりの本尊がおかれましたが、このとき阿弥陀如来の一光三尊様が皇極天皇の枕元に立ち「毎月半ば15日間は古里に帰り来て衆生(しゅじょう)を化益(けやく)せん」とおっしゃられたことから坐光寺を元善光寺と呼ぶようになったそうです。このため人々からは「一度参れよ、元善光寺、善光寺だけでは片参り」といわれ、善光寺と元善光寺の両方にお詣りしなければご利益は半減してしまうよと言われています。
元善光寺の周辺は典型的な寺町でこの商店街を進むと「元善光寺」という大きな看板が現れる。

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 階段を上がると山門があり、本堂が見えてくる。
本堂の前には阿弥陀如来御開帳供養塔が立っており、お祭りのときは多くの人々でごった返すようだ。

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本堂のわきには般若心経が現れるお線香が売られているので、皆さんがお参りの際には買い求めて線香に火をつけるといいだろう。

 

 

 

 

 

本堂のわきからは「冥途の入り口にあるカギに触れる」というアトラクションがありお寺らしい。
ここは本堂の地下につながっていて真っ暗な闇になかを歩いていく。まるで冥途に行くような感覚に陥る。閉所恐怖症の方はちょっとやめておいたほうがいいだろう。
手すりにつかまりしばらく進んでいくと暗闇の中にご本尊を安置してある本堂の真下に薄明るい光が見えてくる。
とたんに手すりが終わりそこに巨大な独鈷がありどうやらこれがメイドのカギなのだろう。
さらに暗闇を進むとほどなくして地上に戻れた安心感がある。
私はよくわからず、2度も冥途を巡ってしまった。

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 みなさんも一度訪れてみてはいかがかな。
※衆生(しゅじょう)とはこの世に生きるすべてのもの
※化益(けやく)とは仏の道に導いて、他人のためになることを与えること

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