皆さんこんにちは神崎慎一郎です。
今回は北京都、福知山市にある皇大神社のご神体さんである日室ヶ嶽とこの山の裏側から奥に住んでいた鬼たちの話をしましょう。
日室ヶ嶽は北京都、大江山の近くにある山です。
ここは古くから信仰のある山で元伊勢皇大神社内宮のご神体さんでもあります。
元伊勢とは伊勢神宮より古く、伝承によれば、第十代崇神天皇39年(紀元前59年)に、「別に大宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御されたのが、いまを去る二千数十年前の遥かな昔であった。そして、まず但波(丹波)へ御遷幸、その御由緒により当社が創建されたと伝えられている。
皇大神は、四年ののち、御神蹟をおとどめなされて再び倭へおかえりになり、諸所を経て、崇神天皇二十六年(紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地に常永遠にお鎮まりになった。
という言い伝えが残されている。
ところで「皇大神(すめらおおかみ)」とはいったい誰?と思われている方もおいかと思いますが、主に「天照大神(アマテラスオオミカミ)」を指します。
伊勢神宮では「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」といいます。
特に伊勢神宮の場合は最高神であるこの神様を示しているといわれています。
ここのご神体は「日室ケ嶽(ひむろがたけ)」と呼ばれる三角形をした山です。
かの、酒井勝軍が日本のピミツトとして認定した山である。
私は20年程前にこの山に登ったことがあるのです。
主祭神である皇大神に断りを入れ、「一願成就」してからこの山に登ったことを覚えています。願いが通じたのか山頂を見ることができました。
深くは語ることができませんが、確かに山頂には三角形をした「磐座」とその周りには環状列石があった。この山の神秘と厳格な信仰は半端なものではないことは事実。
生半可なことではたちってはいけないものだと感じました。
この山は一方方向からのみ三角形に見えるようで、周囲をめぐる道は細く、ここに住む住民もまた信仰深き人々のようだ。
駐車場にいても誰かに見られているという感覚からは逃れることはできない。
対岸の低い山麓はどう見ても拝殿としか思えない。
山頂からはさらになだらかな傾斜が続くがその先には何もなかった。
山肌にはとげのある樹木が群生し、強烈に傾斜のついた山肌は平らな石を積み上げたようで崩れやすく危険である。
私はこのような神社をもう一つ知っている。
静岡県掛川市にある「事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)」はこの元伊勢皇大神宮をコンパクトにしたような神社である。
「一願成就」の神社で皇大神宮と同じである。
神社から左手には本宮を祭る山があるが、見事な三角形である。
気になって山頂まで行ってみたが、そこにはなんときれいに整備された磐座が鎮座していた。この話はまたの機会にするが、この地域は私が提唱する「新説国譲り」にはかかせない証拠のある地域でもあります。
実はこの日室ケ嶽の裏側には鬼が住んでいたといわれる場所があります。
まさにその場所は大江山であり奇妙なことにここから南下すること5㎞のところには同じ名前の「鬼ヶ城」とよばれる山が2か所もある。
偶然とは思えない。
またこの大江山には「酒呑童子」を含め少なくとも3人の鬼が住んでいたといわれている。
まさに鬼の宝庫である。
日本人は鬼というと青鬼と赤鬼を思い浮かべる。
獣の川のパンツにこん棒に角である。
私は「鬼」そのものはまさに西洋人であるように思う。
青鬼は肌が白く日本人からしてみればまさに青白い、また変に赤ら顔の白人もいる。
髪の毛は茶色や金髪でちじれていて、目が青い。
おまけに獣の角の被り物(バイキングのヘルメットのようなもの)または角笛なんか持っていたらまさに鬼。
こん棒はメイスの一種で「モーニングスター」と呼ばれるものが近いように思う。
この地域は舞鶴のような大きな港も近く、中国からの渡来人も多かったと聞く。
日本人は中国へ渡来と聞くとすぐ「遣唐使船」を思い浮かべるが、遣唐使船は一代の天皇が1回のみ行うもので約30年に1回とされてきたが、中国との交易船は毎週のように日本にやってきたといわれている。
また中国の洛陽や長安は大陸でいえばシルクロードの終着点で当時は国際都市化していた。
青い目の中国語しか話せない白人が多くいたとされる。
「エデンの東」にもあるように東洋人の極東に対するあこがれは大きく。
大陸の果てが極東ではないことはマルコポーロの日記にも記されている通りである。
西洋人の極東に対するあこがれは、時に黄金の島「ジパング」として伝わり、
エデンも東にあったならそこは楽園として伝承されたのだろう。
従ってこの極東の島日本が「日出国(ひいずるくに)」または「神国」と呼ばれても不思議はない。
そんな西洋人がこの日本にあこがれや好奇心からこの日本に渡ってきたとしても不思議はない。
民族の移動距離は時として人の想像力を超えるものなのだろう。
そんな「不思議への探求心」はいつの時代にも絶えないものだ。
だが真実は一つ。
今や捏造された歴史から脱却しなければならないと思おうのは私だけだろうか?
神崎慎一郎
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