飯島家の謎

■飯島陣屋

■飯島陣屋

こんにちは、神崎慎一郎です。

長野には飯のつく姓が多いですね。

飯島を筆頭に飯田、飯室、飯塚など、まあ最近は長野に限ったことではありませんが・・・・・。

芸能人にも飯島愛や飯島直子などがいますね。業界人にもかなり多くの方がいらっしゃいます。

有名な人では飯島勲さん小泉首相の側近ですよね。

全国には多くの名字が存在しますが、今回はこの飯島家について調べてみました。

飯島と名がつく地名は私の知る限り、2か所しかありません。

秋田県の秋田市の飯島という地域。そして長野県上伊那郡飯島町です。

まず秋田ですが、昨年、この秋田市土崎という場所の近くに飯島地区があります。

もともとは秋田の豪族がここで栄えたとありますが、ここには飯島姓を名乗る方はほとんどいません。地名だけが残っています。

飯島神社

飯島神社

ただ全国で唯一、飯島神社があります。今回はこの神社を訪ねましたが、宮司はおらず、管理をしている土崎神社を訪ねて行きましたがお留守でした。

そこで名刺を残して帰れましたが、後日、飯島神社のお札とお守りを送っていただきました。大変感謝しております。

飯島神社石碑

飯島神社石碑

 実は岐阜県の白川郷に飯島八幡神社があるようです。しかしここでは飯島神社のお守りは買えません。

この地域はどぶろく祭りが有名なところのようです。この白川郷の飯島八幡には機会があれば訪れてみたいと思います。

さて、秋田の飯島地区の近くには長野町という場所もあります。

どうやらここの飯島家は長野県の飯島家とつながっているようです。

秋田の飯島家の家紋は鎌に雀です。わりと新しい家紋ですね。

こう考えると秋田の飯島家はもしかすると長野県から移住した人たちかもしれませんね。

一方、長野県上伊那郡飯島町という場所があります。

ここには飯島家という大きな家があり、飯島家の大本家とされています。

どうやら、日本全国の飯島氏はここが発祥の地と考えてよさそうです。

確かに他の地域でも飯島姓が発生していますが、いろんなことを考慮するとこの場所だと確信しました。

ここには上伊那の伊那谷の歴史があり、飯島氏が織田信長に攻められ、武田に攻められ吸収され、上杉の圧迫を受けたり、

最後にはい徳川家康に滅ぼされそうになったりと、歴史の渦に翻弄された歴史が刻まれた証拠が残っています。

飯島陣屋説明看板

飯島陣屋説明看板

この飯島町には江戸時代にあった陣屋跡を復元した飯島陣屋も存在する場所。

白洲木戸

白洲木戸

ここを訪れると、囲炉裏端に火をくべてくれて、お茶をサービスしてくれます。

すぐそばを飯田線が通っていて駅もあります。

残念なことに飯島神社はありませんが、近くに梅戸神社があり何か関係がありそうです。

また飯島城(別名:本郷城)跡があり、一国一城を築き、伊那谷と呼ばれた一帯を勢力範囲にしていたようです。

 

 

 

 

西岸寺

西岸寺

近くには西岸寺という寺があり、僧兵とともに、高遠までの広い範囲を勢力下においていたようです。

ここは飯島家の菩提寺で、丘の上には歴代飯島家当主の墓が、何十代にもわたり立っていて歴史の重みを感じます。

飯島家当主の墓

飯島家当主の墓

もともと片切氏と縁が深く、片切が所有していた領地を手中に納めています。

高遠に勢力範囲を伸ばした証拠に諏訪駅のそばに今も飯島という場所が残っています。

飯間町から40㎞は離れているでしょうか?

この近くの宮田村にも飯島家か存在します。

今の伊那市と駒ケ根市の間にある大田切と呼ばれる地域にすむ人たちで、飯島町よりも北に位置し、諏訪湖に近いほうに住んでいます。

ここの飯島家は武田勝頼とも縁が深く、勝頼没後は、武田家存続のため、武田姓を武村に変更し、徳川家の追従を逃れたと聞きます。

ここの飯島家の家紋は隅切り橘紋で井伊家の橘紋と同じであり、井伊家とのつながりを感じます。

これより北にある辰野村には有賀(あるが)姓がおおく、太平洋戦争当時、日本が誇る戦艦大和の最後の艦長 有賀幸作もこの村の出身です。

飯島勲さんもこの村の出身です。

私がこの地域を訪れたのは、6月の初旬でしたが今年は梅雨が始まっていましたので蒸し暑く、雨もしとしとと降るあいにくの天気でしたが、

広大な伊那のリンゴ畑ではリンゴの摘(てっか)がすでに始まっていました。

冬にはおいしいリンゴを実らせることでしょう。

伊那のリンゴは全国的に有名で、他のリンゴとは違って、みずみずしく、甘酸っぱいのが特徴で、大変おいしいと東京圏の人たちに評判となっています。

リンゴだけではなく野菜もすべて高原野菜で身は大きくとてもおいしいのが特徴です。

近くには千畳敷で有名な中央アルプス、駒ケ岳がそびえ、そこから流れ出る水流は夏でも凍えるほど冷たいため、

田植えの時期にはそのまま田に水を引くことができないため周囲に水路を巡らせて水を温めてから田んぼに引いています。

大麦畑

大麦畑

 

 

この時期は大麦の穂が黄金色に輝いており、そこらじゅう麦畑が広がっています。

残念ですが、今はもう刈り取られているかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山神水路

山神水路

今回は山に入って水神神社に参拝しましたが見事な水流を写真に収めてきましたので見てください。

水魂

水魂

またここは、先月お伝えした「光前寺」があり霊犬「早太郎」が祭られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治屋のソースかつ丼

明治屋のソースかつ丼

名物、「野沢菜」もちろんのこと「ソースかつ丼」で有名な明治屋も駒ケ根インターを降りるとすぐあります。

あなたが飯島さんならぜひこの地域を訪ねてみてください。

もちろん飯島さんでなくても、楽しめる場所がたくさんあるので、この夏休みには飯島攻略をしてみるのもいかがかな。


4 Responses to 飯島家の謎

  1. わたしの旧姓は飯島ですが、先祖は長野から来たと聞いています。愛知県の蒲郡市に何軒か飯島があります。源氏の流れをくんでいるんですね。他のサイトでみたのですが、美男美女が多いとか。確かに私の親族は、そんな感じがします。これも源氏と関係があるのでしょうか。きれいな奥様を嫁にもらい美しい子どもが産まれるなんて。源氏物語を思い出してみました。この件で面白い話しを知っていたら教えてください。
    実際私もミス〇〇で活躍していました。若いころですが。甥っ子もしかり。イケメンで長距離界で名が知れています。このサイト勉強になりました。ありがとうございます

  2. 初めまして!自分の苗字が飯嶋なので、とても興味深く読ませて頂きました。
    ありがとうございます٩(ˊᗜˋ*)و
    一度飯島町を訪れてみようと思います。

    • すみませんコメントありがとうございます。
      最近こちらがおろそかになっておりました。
      飯島は長野が祖であるといわれています。源氏がもとだという話も聞きますが、長野伊那谷の箕輪に発生し、飯島町というところがあります。
      ここには飯島城、別名本郷城があり、伊那谷を支配していたといわれています。
      当時、最大の領地は飯田から諏訪高遠までを支配していたといわれ、飯島町にある西岸時には飯島家代々の党首の墓が今もいくつも並んでします。
      今は飯島町に飯島さんはあまり住んでいませんが、中央委高速の諏訪インターを降りた場所が実は飯島という地域でこの近くに飯島姓が多く住んでいます。
      飯田や飯室、飯塚はすべて飯島の派生形であり、井伊家も遠縁に当たるといわれています。
      昔は井伊島とか伊井島とか書いたとも言われていて謎の多い家柄なんですね。

  3. 私の父の田舎は茨城県つくば市で周りの家々はほぼ飯島家です。何百年も前に長野県上伊那郡飯島町から移住して定着したのかもしれませんね

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