足長神社と手長神社


足長神社と手長神社

長野県は昔から信州という、私はかねがね信州とは実は「神州」だったのではと思っている。

実は信州とはほんとは神州と書いたという説がある。

信州一味噌をご存知ですか?

これ「神州一味噌」と書きます。

神州とは実は日本のこと。その中心が信州ということなでしょうか?

太平洋戦争当時、敗戦間近のこの日本において、日本の最後の大本営をこの信州は松代にある「皆神山」と定め、押し寄せるアメリカ軍に本土決戦を挑もうとした日本軍。そして日本の政府がこの地を決戦の地と定めたのも、実は偶然ではないようだ。

こんな信州には多くの力のある神々の住む社が点在する。

諏訪湖の周辺もその一つ。

有名な神社は諏訪大社で、諏訪大社は一つの社ではない。

上社、下社に分かれ、さらに本宮、前宮、秋宮と春宮に分かれている。

7年に一度御柱と呼ばれる「モミ」の神柱が4本建てられる。したがって四社では実に16本もの御柱が立てられことになる。

御柱ははるか遠くの山から切り出され、人力で山から引きずりおろされる。時には人の命が奪われるほど激しい祭りとなる。

祭神は出雲の神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と呼ばれている。この神は大国主の子で最後まで国譲りに反対しこの諏訪湖まで逃げ延びてきたのだ。しかし、この地方では土着の神のほうが有力視されている。

実は今日こんな諏訪大社の話ではない。

手長神社という神社の話である。

手長神社は「手摩乳命(てなづちのみこと)」を祭る神社である。

そして足長神社は「足摩乳命(あしなづちのみこと)」を祭っている。

夫婦の神様なんです。

手摩乳命と足摩乳命は、出雲で「スサノウノミコト」がヤマタノオロチを退治した際、出会った夫婦であります。

娘は「奇稲田姫(くしなだひめ)」といいます。

高天が原を追放されたスサノウはこの奇稲田姫がたいそう気に入り「この娘を俺にくれ」と夫婦に問いかけます。手摩乳命が「あなた様はどなたでございますか?」と尋ねると「我は天照大神の弟のスサノウというものだ」と名乗った。夫婦は大変恐縮し、娘を差し上げる代わりに八岐大蛇を退治してほしいと懇願する。

スサノウは承諾し、奇稲田姫を櫛に変え、ヤマタノオロチを退治する。退治したオロチの尾の先から出てきた剣が「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」という神剣であった。別名草薙の剣という。

オロチを退治したスサノウは奇稲田姫を奥さんにして出雲に新居を構えた、その時、うれしさのあまり歌った歌がこのうたである。

「八雲たつ、出雲八重垣妻ごみに、八重垣作るその八重垣を」

実にうれしそうなスサノウの姿が想像できる。

このクシナダヒメとの間に生まれた末の息子が大国主である。

これが根の国の話、「因幡の白うさぎ」へと話がつづく・・・・。

 

私は最初は手長神社と諏訪と聞き、「長髄彦」が頭をよぎった。

私の記憶の片隅に「ながつねひこ=諏訪死亡説」固まっていたのでこれにまつわる神社だと思い込んでいた。

日本神話では、大国主は天津神から派遣された建御雷之男神(たけみかづちのかみ)から国譲りの話を持ちかけられる。しかし建御名方神(たけみなかたのかみ)だけが最後まで抵抗し信州の諏訪まで追い詰められ、諏訪のちにとどまることを条件に降伏するという話。

と、言うことは、その時からこの一帯を建御名方神が支配していたということになります。

この時、一緒に手摩乳命と足摩乳命が抵抗勢力として同行していたということになるのでしょうか。

こんな出雲と信州がつながっていたんですね。

国津神の本拠地はここ神州ということになります。

信州=神州ということ。納得です。

これなら信州の諏訪に神社があるということで話がつながりますよね。

実は、舞台は出雲から信州また静岡へと進んでいきます。

その話はまたの機会に。

本日はここまで

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