人魂の話

人魂の話

未確認飛行物体に似た飛行物または浮遊物について検証してみたいと思います。

 

「UFO」未確認飛行物体は人為的もしくは他の生命体的乗り物でしたが、このほかに浮遊する、まか不思議な物がこの世にはたくさんあります。

まるで小型のUFOと間違えてしまいそうですね。

真っ先に思い浮かぶのが、「火の玉または人魂」と呼ばれる物です。

ここで、まか不思議な体験談を紹介しましょう。

人魂の話。

ある人が、人魂がたくさん集まる場所の話を聞き、どうしてもこの「人魂」を捕まえてみたいという衝動に駆られ、互いに意気投合した友人と「人魂」捕獲に乗り出した。

ある日、その人魂がたくさん現れると思われる場所に着いたときにはとっぷりと日は暮れていた。仕方なくこの辺でテントを張り、深夜になるのを待つことになった。

さいわいにことに、近くには水道もあって飲み水には不自由なさそうだ。食事を済ませ、テントの中で友人と人魂の捕獲方法について話していると、あたりがだんだんと明るくなってきた。はて、夜明けにはまだ早いはずだと思ったが、周りは昼間のように明るい。

思いあまってテント外に出てみるとそこには無数の「人魂」が浮遊していた。慌てて、一人がテントの中に虫取り編みを取りに戻った、手には虫取り編みと鍋が握られていた。彼らはそれを使って捕獲を試みたが、なんと人魂は虫取り編みをすり抜けてしまう。今度は鍋を使って見たが、やはり鍋の底から「人魂」はすり抜けてしまった。必死になるが捕まえることはできない。

すると1匹の人魂がテントの方にゆらゆらと飛んでいった。テントが燃えてしまうと、あわてた2人だったが、「人魂」の炎はテントに燃え移ることもなく、そこを通り抜けていったのだった。

もしかしたらと思い、一人が勇気を振り絞って、手で「人魂」を覆い取ると人魂は人の手をすり抜けることが出来ずに手の中でメラメラ揺れるように輝いていた。不思議なことにその炎は熱くなく、青白いと言うか緑色のような色であった。

人魂の勢いは激しくなるばかりで、しばらく昼間のような状態が続いていたため2人は逃げるように「人魂」を抱えながらテントの中に逃げ込んだ。

テントの周りは、怪しく浮遊する人魂の光で明るく輝いていたが、しばらくすると次第に漆黒の闇の中へと戻っていった。人魂を捕まえ抱きかかえるようにテントに入った2人であったが、我に返り両手をそっと開いてみた。「あれっ」。

そう、テントの周りが漆黒の闇に変わると同時に手の中の「人魂」もまた消えていたのだ。

二人は呆然としたが、一連の騒動のためか激しい睡魔に襲われ、そのまま朝まで倒れ込むように、いつの間にか眠っていた。

朝、2人が気がつくと、あたりはすでに日が高く昇っているようで、テントの中も日の光を受けてまぶしいくらいに明るくなっていた。テントの外に出てみると、そこはなんと墓地の中だった。

そう、2人がテントを張った場所は闇に紛れた墓地の中だったのです。

使った水道は墓参りの桶に水をくむ場所、そして夜中に見たのはこの墓地に埋葬された死者の魂だったのでしょうか?

 

 

もう一つ人魂に関する話をしましょう。これは海老名市のホームページにあった物の抜粋です。よく日本昔話に登場するので、ご存じの方もいるかと思います。

 

お盆の棚経を済ませて帰途についたのは、まだ宵のうちだった。雲足の早い晩で、急に明るくなったり薄暗くなったりする月明りの田んぼ道を夜風に吹かれながら戻ってくると、地面すれすれに”ふわりふわり”と近づいてくる人魂に出会った。

 話では聞いたことがあるが、実際に見たのは初めてだったので、足早に近づくと、人魂は驚いたように急に向きを変えて引き返したので、その後を追うと上下に大きく揺れながら逃げるように小畔へ入って行った。その細い小畔を伝って追って行くと、突き当たりの用水堀を水面すれすれに越していった。川下の橋を渡って、なおも後を追うと、代々檀徒総代を務める旧家の塀を越えて中へ入ってしまった。

 せっかく追ってきたのだから、その行き先を見届けようと裏へ回ったらちょうど、通用門が開いていたので屋敷の中まで入り込んだ。人魂は、うろたえたように家の周りを一回りして、隠居所とおぼしき離れの高窓から中へ消えてしまった。

 玄関へ回って戸をたたくと、使用人が提灯をもって出てきたが、袈裟衣をつけた菩提寺の住職が立っているので、びっくりして、しどろもどろに「長く臥せっておられたご隠居様が今、亡くなられたので主人に代って枕経のお願いに伺うところです」という。

 人声を聞いて出てきた主人も「どうして、お知りになったのですか」と驚いたが、事情も聞かずに廊下伝いに離れの隠居所へ案内した。

 ところが死んだはずの老人がぱっちり目を開けて、まじまじと顔を見つめるではないか。あっけにとられてぼう然としてしまったが、主人も事の意外さにしばらく口が利けなかった。

 大きく瞬きをした老人が「あなたは先程、私を追いかけてきた鬼でしょう」と言ったので家族の者があわてて、「鬼だなんて、とんでもない。お寺の和尚さんですよ」と言い聞かせたが、老人はかぶりを振って、「夕食の後、旅に出ようと思ってぶらぶら村外れまで行くと、向こうから鬼が来て行く手に立ちふさがった。引き返すとそのあとを追ってくるので、田んぼの小畔へ逃げこんだら鬼も追ってきた。突き当たりは川だったが、橋がないので尻をまくって歩いて渡ると、鬼は川下の橋を渡ってしつこく追ってくるので、屋敷の塀を乗り越えて逃げ込んだ。鬼が屋敷の中まで入ってきたので、高窓の格子を外して家の中へ逃げ込み、『ああ、よかった』と思ったら気がついた」と、長く病床にあった老人とは思われない力強さで無意識の中での出来事を一気に話した。

 家族の者は、一度息の絶えた人間がよみがえったので、驚きながらも喜んだが、人魂を追いかけた身には″夢が現か、現が夢か″の心境だった。よみがえった老人の話と、人魂を追いかけた道筋や高窓から逃げ込んだ様子などが、あまりに一致しているので顎が、がくがくしたが後になって高窓の格子が外されていたと聞いてからは、当分の間つきものでもしたように落ち着かなかった。

 

この話の論点は、法事の帰りの坊さんが見た人魂視点の話と、人魂が見た人魂視点の話の両方が聞かれる、非常に興味深い話となっている。人から見れば人魂だが、火の玉から見ると人が鬼に見えるらしい。こんなことから、「地獄」という場所が描かれたのかもしれませんね。

こんな話をしていたらキアヌ・リーブスが演じた「コンスタンティン」という映画でもこの世が地獄のように見える青年として描かれていましたよね。この辺はもしかすると、死者からはこの世が地獄のように見えるのかもしれませんね。

 

ところで、この「人魂」、実に目撃例が多い。

海外でも目撃されており、やはり未確認飛行物体の一つと考えています。

昔と言っても戦中には、そこらじゅうに「人魂」が舞っていて、大して珍しい物では無かったと聞きます。

果たして「人魂」は人間霊魂なのでしょうか?

 

科学的に「人魂」人間や動物のリンが水と反応して燃えるのでは考えられ、一般的な炎では無く、青白く、または緑色と言ったような色の炎ようなものだと言われています。

しかしながら、人間や動物が持っているリンでは発光も発火もしないという説を唱える人もいます。

いずれにしても明確なというか、はっきりとした目撃例をビデオカメラで撮影し、検証することが人魂の一応の解決方法になると考えます。

一応といったのは人魂にも明らかに炎と思われる燃え方をするものと明らかに未確認物体のようなものが存在するからです。

 

ここで「鬼火」と呼ばれる火の玉の体験談を紹介しましょう。

(私の母の体験談)私の母は山側(やまが)の生まれで、たしかに山の中にすんでいた。平野の少ない山間部では学校も山の斜面を切り開いて平らな部分を作って建ててあった。それでも多くの子供たちが通っていた。

この学校に隣接するように寺があり隣には学校に覆い被さるように斜面に墓地が作られていた。昔はこの墓地は土葬であったと聞く。

この寺のすぐ脇に竹藪があり、この横には親戚の家が何軒かあった。

昔の家は、兄弟もお多く、親戚一同が集まれば宴会などを開いて、酒を酌み交わし、世間話をよくした物だ。私の小さい頃も母の兄弟は8人もいたので、それはそれは、賑やかなものだった。

村には旧家が多いため、お風呂やトイレは離れにあった。この家も例外ではなく、竹藪に隣接するように風呂屋が建っていた。そんなある夏の出来事である。

親戚が集まり宴会が始まっていた。

風呂には窓があるが電気は無い。このため、夕方になると順番に風呂に入る羽目になる。当然子供たちも入る。大人たちは宴たけなわであったが、子供たちは母親たちにせかされるように、母もいとこと一緒に風呂に順番に入ったのだった。湯船からは木の格子窓越しに薄暗くなった竹藪が見えていた。ふと格子窓の外が明るくなったかと思うと轟々とうなるような音と共に1mくらいの鬼火が竹藪から墓地に向かって移動するのが見えたそうだ。そのときの恐怖といったら無かったそうだ。いとこと母はあまりの恐怖に息を殺していたが、鬼火が去ると一目散に風呂場から出て行ったことは、言うまでもない。母は昨日見てきたように、鮮明に残る記憶をたどりながら淡々と話してくれた。

 

鬼火は狐火と勘違いされがちであるがどうも違うようだ。また竹藪によく現れることも不思議である。それにしてもこの轟々と音を立てて燃える炎は「人魂」と違って熱そうである。

 

はたして火の玉とはいったい何なんでしょうか?

どなたか貴重な体験談をおもちも方は是非、ご一報をいただきたい。


3 Responses to 人魂の話

  1. 母は疎開先の岐阜で幼い頃よく見かけたといいます。デモ冬じゃなくて夏なんだよねえ。
    近所の男の子が竹箒でばさばさはたいてばらばらにしたけど、
    すぐ一つにまとまって寺のほうに行ったとか、
    やはり、付いていったらお寺に着いた、火の玉が出てきたうちの叔父さんがなくなっていたとか、
    いろいろあるようです。
    なぜ、今は聞かなくなったのかな。

    夏の蒸し暑さや遺体の安置の仕方などに何かヒントがあるのでしょうか。
    こういうと、Xファイル系ですね。

    • こんにちは
      神崎慎一郎です。
      コメントありがとうございます。

      魂とはやはり肉体があってのものだと思います。
      昔はよくあって今はないのは、死ぬとすぐに火葬にしてしまうから
      じゃないかな?
      肉体と魂は一心同体、幽体離脱も体から離れ、浮遊して体に戻ることを
      考えるとやはり肉体が必要なのでは?

      私が3歳の時にひいおばあさんが亡くなりましたが、その時は
      まだ、土葬でした。
      離れに寝泊まりしていて、亡くなる前日まで畑仕事をしていた人でした。
      亡くなったおばあさんの離れから「バキン、バキン」と音がします。
      実は死後硬直をしたおばあさんを棺桶に入れるため、
      関節をたたんでいる音でした。
      「子供は来るんじゃない。」と大人に言われましたが、
      もしこの光景をおばあさんが、魂になって見ていたら
      鬼に別のおばあさんがひどい目にあわされている光景が
      見えたことでしょうね。

      ところでXファイルはすべて架空の話と思っていますか?
      火のないところに煙は立たない。
      人間の想像力なんてたかが知れています。
      あのテレビシリーズの初期の話は、実は現実に起こった
      不思議な事件をドラマ化したものなんですよ。
      どこに真実があるのかわからない。
      それがミステリーなんですね。

  2. 約35年前のお盆の日の出来事ですが、玄関は引き戸のすりガラスですが、隣にトイレがあり、外は暗く午後8時頃でした。トイレに行こうとしたら、外から明かりが点滅していたので、玄関を開けたら、約12m位先に地面から約1mの所にバスケットボール位の大きさのオレンジ色の火の玉が少し、移動しながら浮いていました。そしてすぐ後ろに建物があり、その建物は自分の借りていた、電子機器の工場で窓が開いていて作業台で仕事しいる手元あたりで、線香花火みたいに、チリチリと青白く発光していました。あまりの怖さで、思わず玄関を閉めてしまいました。少したって玄関を開けたら、すでにその現象はありませんでした。すぐ青白い発光していた本人に聞きいきましたが、そのような事は全く無いと言っていました。自分が見た建物も同じ作業所です。誰に言っても信じてもらえず自分が死ぬ前に、この様な現象は何であったか知りたく、文章の表現が苦手で、申し訳ありませんでした。  

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